ハッピーエンド

考える人💁‍♂️

心がザワザワすること。

 

最近、一緒に住んでいる母に、    

「申し訳ない」

と思うことが増えた。

 

 

申し訳ないといっても、

母にひどいことを言ったとか、

そんな反抗期の娘のようなものではない。

 

(あれ、ひどいこと言ってるかも)

(それはいったん置いておく)

 

 

例えば、

 

「今日ご飯いる?」

母からのこんなLINEに

 

「今日はいらない!」

と答えることが多くなったとき。

 

 

どうしてか、母親のご飯を食べなかった日は、

少しだけ、心にモヤモヤが残る。

 

だから、

「少し予定入れるのをセーブして

   家でご飯を食べる日を増やそう」

 

なんていい娘ぶったことを

思っちゃったりする。

 

我が家の母は、娘が夜ご飯を家で食べない

日々が続いたからと言って悲しむタチ

では決してない。

 

だからこそ、ここからは完全に私の妄想、

というか想像の話になるのだけど。

 

母親にとって、

「子どもにご飯を食べてもらうこと」

このことは少なからず、母親たちの幸せなこと

リストに入ってるだろうと思う。

 

(もちろん、いちいちメシ作るのかったりーんだよ!その辺のカップラーメンでも食べてろよ!な思考のママもいるかと思う。人それぞれ。)

 

わたしの母はストレートに愛情表現を

するタイプではない。

だからこそ、23歳の社会人ホヤホヤの私に、

あったかいご飯を通して、

たくさんの優しさをくれていると思う。

 

だから、私がご飯を食べないということは、

行き場のなくなった母の優しさがそこには

確実にあって。

 

きっとなんとなく、その優しさが宙ぶらりんに

なったとき、「寂しいな」と感じることがあると思う。

 

その「寂しいな」

感じさせてしまうことに、

私は申し訳ないなと思う。

 

 

少しずつ母から離れていくことに、

私自身寂しさを感じるし、

 

母も同じように「なんとなく寂しい」

を感じていると思う。

 

母の寂しいを想像して、

申し訳なさで胸をいっぱいにすること。

 

まさにこれこそ、

わたしの自立 であると思う。

 

 

「もっとお母さんのご飯を食べよう」

 

単純に与えられてきた今までとは

確実に違う、何か少し大人になった

私なりの思いやりがある。

 

これはほんと一例だが、

こうしてひとつずつ親を気遣う気持ちが

増えていくこと、それが自立することなのだと

私は思う。

 

まだまだ、自称「自立」なのだけど。